2020年12月13日日曜日

【本紹介】「地方」と「努力」の現代史

  【地方出身の馬が中央で勝ち、アイドルに。それは[田舎から出てきた人が都会で活躍する]と同列なのか?】

 その作られたイメージの間違いから始まり、地方競馬のイメージと実情との乖離、ギャンブルと税、ギャンブルと郊外、ギャンブルに集う人たち。どのように過去のイメージが変わり、同時代の似たものと被り、時代のアイコンと化すか。【競馬場は、赤ぺん刺した小汚いおっちゃんが集う場所】【ギャンブル場は地方を潤す】。そういったギャンブル場のイメージは、今どう変わっているか、変わろうとしているか。

 馬、競馬場、ギャンブルに関するイメージだけではなく、あらゆる概念は、「その時代を生きてその空気の中で感じていたもの」「数年後に振り返って捉えるもの」とはギャップがある。そのギャップに気が付かないまま、人は生きていく。今(2020年12月)にしても、コロナ第三波が来たとか菅政権がどうのとか、「今(2020年12月)に自分たちが感じている「今」」は、一年後に振り返るとまったく違うイメージでとらえているのだろう。そこに自分自身は気が付かない。「たぶんあの頃もそうだったよな」とかなんとなく思うだけだ。


 その時代を生きていても、振り返ると正しいイメージで過去、歴史を捉えているとは限らない。その「なんとなく」を明確にするため、当時の新聞記事等から、当時の人がどう捉えていたか、そして時がたってどういうイメージに変貌しているかを、アイドルホースを主題として洗い出していく。

 ハイセイコーとオグリキャップも、当時は全く違うものとしてとらえられ、オグリキャップは過労死や金と結び付いた負のイメージがあったのに、バブルの華やかな象徴、立身出世の代名詞として、まとめて扱われるようになる。いつからそうなったのなんて、気が付けばそう捉えてしまっていると、そんな「前のイメージ」があったことすら人は気が付かない。だが、当時の新聞記事や雑誌は、そのイメージを切り取って形にして、今に残している。ただ、そういった媒体はその時代の空気を読んでいたり、空気や思想を導こうとしたり、それすら本当に正しいとは限らない。

 

 歴史というものをどうひも解いていくか。何が正しい歴史で、その当時の人が考えていた時代なのか。その研究の難しさを明らかにする一冊。





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